令和発表の時わたしは(2019年4月1日)

フロアの半数近くは改元を体験したことのない平成生まれで、YouTubeを全画面表示にして音量をあげたらぱらぱらと人が集まってきた。レイワデアリマスの声が響いてもさしたる興奮もなかった。名前にどっちかの漢字入ってる人〜と呼びかけても該当者は居なかった。皆はあっさり散っていった。

あとになれば、あの会社でレイワを聞いたんだっけ、などと思い出すんだろうと思いながら私も仕事に戻った。

菊地成孔は『平成』の元号発表の瞬間に愛の行為をしていた(と、火曜日のイベントで言っていた)。私はそんな裸体とは正反対の、月曜日の職場の公的な姿で『令和』を知った。平成が発表されたのは小学5年生でその時のことは覚えていない。愛の行為がどれほど夢幻的で、かつ事醒むものだとも知る由もない。

次の元号になっても、平成はしばらくは続く。平成の最初の5年ぐらいが、実質上の昭和だったように。(中略)
少なくとも、明確なことは、我々は、これからしばらく、元号だけが変わって、あとはまだ変わっていない、糊代のような数年間を過ごす。それだけだ。
平成は終わらない——連載:菊地成孔「次の東京オリンピックが来てしまう前に」


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