ファンクラブ限定のアコースティックライブ。抽選になったらしかったけれど当選していた! ライブハウスは座席80、立見は200人くらいの印象。 本編11曲、アンコール3曲(※参考)。ギターボーカル、ベース&キーボード、バイオリンの3人編成でメンバーも自分も座っているライブ。セットリスト入りを希望した『きせき』が聴けた。予想外は本編最終曲の『ロメオ』、タンゴを連想させ格好良い。アンコールで「みんなで乾杯しようぜ」とベンジーが言い出しスタッフが慌てて酒を用意して皆が笑った。左:ベンジー画のFC会報表紙
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浅井健一& Bad Teacher Kill Club「Pocky in Leatherboots Tour」@SHIBUYA-AX
今回のツアーは東京スカパラダイスオーケストラから加藤(G/写真左から2番目)、茂木(Dr/最右)両氏が参加した。2人の意向もありブランキー名義の楽曲が演奏される機会が増えた。ベンジーがステージ前方に繰り出しギターをかき鳴らした『ガソリンの揺れかた』。あの音が体を突き抜ける。絶叫とつき上がる拳、上から降る人人人。 ポジティブな力を信じ、与えられる人だ。行く先は明るい方角を指し『人はなぜ』や『エーデルワイス』のようなスローな楽曲で引き立っていた。ミラーボールの回転に励ましを感じたほどに。
Blanky Jet City『VANISHING POINT』@新宿ピカデリー
試写会から2ヶ月、ついに一斉上映日。ひとりで出掛けたが会場にはファンだけが集った親密さが漂っていた。ライブシーン以外では3人の個性が際立つ。ベンジーはバンマス的存在、照井氏はストイックに誠実を貫き、中村達也は奔放な努力家。 最後のツアーでも本番中のセッション(=生み出す行為)は続き演奏が上り詰めていく。緊張感の漂う楽屋の空気もこのバンドにとっては別段特別ではなかったはずだ。旅を続ける覚悟があるから別れの言葉は少なく、普段の調子でいられる。別れを告げる眼はすでに先を見ているようだった。
今月の1枚・2012年11月
■ Sphinx Rose / 浅井健一 ベンジーがライブで投げたマラカスをあるカップルがキャッチした。ラッキー。色々あるけど私たちは大丈夫! と彼女は確信した。でも何年か後に二人は別れた。ラジオ宛の手紙の中で彼女は、昔の彼氏と自分を『わたしたち』と呼んだ。誰も見ることのない意識の中で彼女はまだ彼と一対でいるんだ。リクエストの『Your smile』が流れた。 ベンジーのソロもいいよ、静かな曲もあって。彼が言ったのはこのアルバムのことだろう。だから少なくとも、二つの恋のメロディを含んでる。
映画試写 Blanky Jet City『VANISHING POINT』
Blankey Jet Cityのラストツアーを追ったドキュメンタリーが来年1月26日に限定公開される。 解散してから12年も経つというのに、3人が残した焼き印みたいな存在感は醒めることがなく、その証拠に今年の夏の写真展でまんまと「遅れてきたファン」になってしまった自分のような人もいる。きっとこれからも増える、自分のような人は。だから、年々、時代がじわじわと先に進んでも、偉大なバンドの終わりを目撃できる記録が完成したことを歓迎したい。遅れてきたファンも納得してBlankey Jet Cityを愛し続けられるから。
今月の1枚・2012年10月
■ 幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする / Blankey Jet City 約3ヶ月で最新作(00年)からデビュー作(91年)まで遡った。同じアルバムを聞き続けて次に移るのだけどこれには長く足止めを食らうことになった。「風になるまで」は何度聴いても良い。 全体的に憂いが強く、存在が際だっている。ライブアンセム盛りの『SKUNK』と『C.B.Jim』の間に制作されたとは信じ難い。鮮烈な “女装ジャケ” は写真家・高橋恭司によるもの。それも選出理由に付け加えなければ、一枚だけ選ぶなんて無理!
浅井健一「SHOOTING LIVE」@新代田FEVER
一曲目はBlankey Jet Cityの「SWEET DAYS」だった。バンドが解散しても浅井健一は楽曲を封印しない。「いい曲だったらやりたい。死んだらできないし」と言う通り、ソロ名義に加えて複数のバンドを横断したセットリストだった。 1月にソロアルバムが発売されツアーも控えている。バンドはツアーメンバーで編成され、新曲「Cute Bad※」も披露。それにしてもベンジーが歌うBJCは刺激的すぎる。ライブ後パンツのポケットに入れた紙幣などあれこれがもろともなくなっていたことでフロアの状態を察してほしい。
昨夜SHERBETSを目撃するまで
ベンジーってほんとに居たんだ。演奏直前、ギターを肩に掛ける姿を見た瞬間思った。大学生の頃ベンジーはBlankey Jet Cityのフロントマンで、解散を知った同級生達は横浜や苗場のライブに飛び回っていた。彼らは革のパンツを穿いていたし、こちらは毛色の違うバンドに夢中だった。 同級生の友人の部屋で当時始動したばかりのSherbet(現SHERBETS)を聴いた。『水』という曲が良くて再生されるたび曲名を尋ねていた。そして7月の写真展が今のベンジーを知るきっかけになった。[写真]STRIPE PANTHER GIGS
SHERBETS「STRIPE PANTHER GIGS」@LIQUIDROOM
ベンジーはまったく「ニュー・カラー」な存在だった。2列目にいたのでカールした髪からベージュのエンジニアブーツのつま先までよく見えた。白地に花柄のシャツのボタンをみぞおちあたりまで開け広げ、擦れたデニムを穿いていた。 ニュー・カラーとは写真史上の言葉だ。モノクロに代わりカラーで撮影された70年代のアメリカの風景写真。ベンジーはその風景の一部のような、褪せた色を全身にまとっていた。彼が立つとステージは流行らないキャバレーのように見えた。今夜はツアー初日で満員のお客がいたのだけど。
浅井健一写真展『AROUND BENZIE』
大学2年か3年の時、彼はある地元の友人のことを笑って話した。彼の友人は田舎のヤンキーらしかった。そのヤンキーがヤンキーにそぐわぬ『小さな恋のメロディ』を観たのだと言う。言わずもがな、Blankey Jet Cityの曲に影響されて。 その小馬鹿にしたような笑い方を見て(わかってねえな)と思った。田舎のヤンキーが田舎のビデオ店で『小さな恋のメロディ』を借りることはエロビデオ以上に恥ずかしいのではないか。でもそうしなくては収まらなかったんだ。この日、会ったこともないヤンキーの純粋を想い出していた。









