遊歩道の桜を見上げると上の方の枝先までもこもことこぼれ落ちそうに花がついている。上から花弁が舞うので手を伸ばして捕まえにいく。桜は、もう散り始めている。いっときとして同じ姿はないのだと、細かな時間の単位が全身に充満する。
諸般の事情で四月一日(いっぴ)の復職が延期になった。心がぐらっとする一週間だった。前回のカウンセリング後、片付け中に「花は咲いたり、散ったりするのに、気付かない自分に戻りたくない」という言葉が不意に口から出た。涙がこぼれたので長袖シャツで目のところを強く押さえた。
遊歩道の桜を見上げると上の方の枝先までもこもことこぼれ落ちそうに花がついている。上から花弁が舞うので手を伸ばして捕まえにいく。桜は、もう散り始めている。いっときとして同じ姿はないのだと、細かな時間の単位が全身に充満する。
諸般の事情で四月一日(いっぴ)の復職が延期になった。心がぐらっとする一週間だった。前回のカウンセリング後、片付け中に「花は咲いたり、散ったりするのに、気付かない自分に戻りたくない」という言葉が不意に口から出た。涙がこぼれたので長袖シャツで目のところを強く押さえた。
状況ちょっと違うけど、
学生から社会人になって、病院で働き始めたときに感じたこと。
患者さんと散歩にいくことが多くて、
そのとき、川べりの鴨眺めたり、公園のベンチで休んだり、
お花見行ったり、平日の昼間にスーパーで買い物したりして、
そのときに、ずいぶんいままで学生で夜型の生活していたなあって、
こういうゆったりとした時をずいぶん歩んでいなかったことに気がつきました。
ちょっとしたことなんだけど、やっぱりこころにゆとりがないと気がつかなくなってしまう風景があるような気がして、働き初めてから、そういうことにずいぶん癒されました。
桜の季節に、桜をじっくり楽しむとか、ほんと大事なことだよねって共感します。
>ちんみん氏
世の中には平日の昼間の景色というのがあるよね。
でもそれは会社で働いている間の「窓の外の時間」であって触れることがなかった。
豊かさについて考えるよ。
きれいな花が咲いていても、それにも気付かないか立ち止まる時間もなく働くことが幸せとは思えない。
でも自分の選んだ道(職業)が必ずしもそれをさせないのではなくて、個人の問題なんだけど、
せっかく取り戻しつつある習慣なら失いたくない気持ちがある。
働き始めてから癒されるって初めて聞いた言葉だよ。
間接的ではなく直接豊かさに触れることができる仕事って貴重だね。
個人的には、大学時代に駅の柱によりかかり待ち合わせの数分も無駄にしない勢いで猛勉強をしていたちんみん氏が、
「ゆったりとした時」を感じる仕事に就いたことの興味深さを感じた!
だから君の共感に共感してしまったよ(笑)
移動手段によって、見える風景ってずいぶん違うよね。
わたしもいま、平日の昼間に生息してるので、徒歩か自転車。
すると、こんなにもあふれているのかっていうくらい、いまならば花が目にはいるよ。もうすぐ新緑の季節。
花が散ったあとの若葉が一年で一番好きです。
ちなみに、指摘されて気がついたけど、
ゆったりしたときのなかにいるのって、
小学校以来かもしれない!
中学は部活で超いそがしかったから。
>ちんみん氏
移動手段はほとんどが電車。
通勤は常に電車だったけれど、総武線から見える神田川の桜を去年は目にしたっけ・・・?
去年の今頃は休職直前でいろんなものが目に入っていなかっただろうな。
(ブログの更新もぱったり止まっていたしね)
そう、ゆったりしたときの中にいる君をまだ不思議に眺めるところが実はあって。
いつも何処かを駆けていたという記憶が強い(笑)
急いでノートのページをめくったり、待ち合わせにビルの合間から飛び出してきたり!