コンタクトレンズめ。

昨夜は「塩田千春展:魂がふるえる展」へ。はりめぐらされた糸が毛細血管のよう。コンタクトレンズの鑑賞は叶わず。理由はまた後日に…… 2年半前、村上春樹のトークイベント参加を機会に眼鏡をつくった。知らない間に0.4くらいまで落ちた視力も日常生活にさほど支障はなく、ビストロの壁の黒板メニューの文字が見えない程度で同伴者にオーダーを任せて解決していた。毎度流れ作業の免許更新は「次は眼鏡ね~」と言われながらなんとなくパスしてきた。 ところが眼鏡をつくったらオイこんなに見えてなかったのかよと驚いた。絵画のディテールやステージの演者の観察に不可欠なものだったのだ! さて、今度は海外旅行を機会にコンタクトレンズをつくることにした。吉祥寺のコンタクトレンズ専門店に入り提携の眼科で検査を受けた。酸素をたくさん通すという一番高価なレンズを選んだが、どんな風に良いのかはよくわからない。 恐怖の眼圧検査、そしてレンズの着脱演習を終えた私は憔悴していた。上下にひっぱり続けたまぶたは赤く、乾燥してカサカサだ。失敗する度にフニャっとなるレンズめ。表裏のわかりにくさめ! と忙しい朝に涙と鼻水を垂れ流す。

同僚が鬱になって

向かいの席の同僚が会社に来なくなって4週目。彼が鬱病と診断されたと聞いても驚かなかった。駄目になっていく姿に、自分の過去を重ねていたから。 解析士の彼は、計算は得意だったけれど数値の扱いは苦手だった。意見や説明は的外れなことも多い。上司や先輩社員に指摘されるたびに「すいませんすいません」と笑いごまかしていた。期待されていた仕事は遂行されず、チームメイトをやきもきさせた。 40近い大人が若い社員にだけ態度を変えることや、不快なほど笑い声が大きいことに皆は眉をひそめるようになった。私には居場所のなさを悟った人の言動に見えた。社歴の長い主力社員たちが離席すると業務の相談を持ちかけられた。彼は周りに萎縮し続けて「期待されていた仕事」をする余裕を失い、休みがちになり、ついには会社に来なくなった。 先週の会議で女性社員が「折角のお休みなんだから楽しいことを考えて過ごしてほしいですね」と言った。その幸福な鈍感! 楽しいことなんて考えられるかよ! あんたみたいな人達に苦しめられてきたんだ、と私の中の何かが跳ねた。 私は会議室の時計を指差して「平日のこの時間に家にいる、働けない自分を責めて、今はつらい以外ないと思います」と言った。高ぶって語気が強くなった。皆は静まり沈痛な顔をつくった。

珍しくこつこつしていること

挨拶文、商品名、サービス名、部署名、上司・同僚の名前。職場のパソコンの辞書には頻出語が登録されている。こんな文↓なら「o・de・te・go」とタイプするだけ。    お世話になっております、[社名]のタソです。  デザインを確認いたしました。  添付のPDFにて修正をご依頼させていただきます。  ご確認いただけますか。 どの会社でも、入社後しばらくはこつこつ単語登録をしてきた。面倒なのは最初だけ。それで仕事はだいぶスムーズになる。時々目も当てられない間違いー例えば自社製品名の間違いーを目にするけれど単語登録でつまらないミスは防げる。「メーク」と「メイク」や、「ビューティ」と「ビューティー」などは間違いのもと。 “見るからに忙しそうな人” に「辞書登録すると楽ですよ」と言ったことがある。彼女は騒がしくキーを叩き、打ち間違えてはDeleteキーを連打し、目の前の受話器を取って内線を取り次いだら書くことを忘れているタイプだったから。助言は微笑みとともにスルーされた。忙しく見える自分が好きな人もいる。たとえ非効率であろうとも。

おばあちゃん帰る

一年1ヶ月ぶりにおばあちゃんが自宅に戻った。「来週(実家に)帰ります」と知らせた母とのLINEでそれを知って、有給休暇を取って長めに帰ることにした。両親は共働きだから平日の留守番をひとりでさせるのが不安だったのだ。だけど週に3日はデイサービスに通い、ヘルパーさんが時々様子を見にくると知って少し安心した。実家は簡易リフォームがされ、玄関や寝室に手すりが取り付けられていた。 おばあちゃんは「快気祝いの品を早く配らにゃあ」と気が気でない様子なので豪雨のさなかに近所の挨拶回りをした。大きく重い傘をさし、赤飯とデパート共通商品券の入った風呂敷包みを抱え、杖をついたおばあちゃんと腕を組んで進む。牛歩の歩みで。家々の玄関で「またよろしくお願いします!」と雨音に負けじと私は声を張り上げた。何十年もまともに顔を合わせていない人に「タソちゃん!?」と言われたりした。 その翌週、当たりっこないと家族で笑い飛ばしていた東京オリンピックのチケットが当たっていた。陸上競技の最終日に家族4名分。93歳のおばあちゃんは来年東京に行くという目標ができたし、手術やら怪我が続いてめっきり老け込んだ父親も驚いて喜んだ。老いゆく家族に、少し先の明るい話題ができた。

やばいやつら

会社の刊行物で見つけた「女性ならではのきめ細やかな仕事」という一文を読み上げて「これやばいですね」と言ったら同僚(女性)はどこが「やばい」のかわからないみたいだった。「きめ細やかな仕事ができるかは個体差であって性差ではないです」と言うときょとんとしていた。会話を聞いていた周りの人らも誰も反応しなかった。「時代遅れの一文ですね」と構わず続けた私はメンドクセー奴か。 職場でのヒールの着用を求めることが「パワハラになりうる」というニュースを見た。女性のヒールに好意的な男性は多い。前職の経営者はあからさまな男尊女卑だった。自分の好む服装や言動が人事評価の基準になっていたり、事業規模に見合わぬ容姿端麗な女性秘書を欲しがったりした。彼の中にしかない「女性はこうあるべき」が蔓延していて気色が悪かった。 従順な女性社員は、会社に着くなりいそいそとヒールに履き替えていた。そう、権力に抗わない女性たちは自ら、毎朝美しくもないヒールに足を入れていた。ヒールを履かない選択肢を持たない女たちと、たかが何センチの女性らしさを求める男たちよ。薄っすらと漂う主従関係をやり過ごせる無感覚者にこのニュースの「やばさ」はきっと届かない。

オー鎌倉

誕生日前夜、仕事を終えてそのまま鎌倉へ。偶然にもしょうちゃんの愛犬「点助」も誕生日が同じなので今年は有給休暇を取った。翌日は快晴。三浦半島の先の城ヶ島公園へドライブして、リードを外して点助が駆け回った。わたしたちはいい季節に生まれた。港で夕日を眺めて小料理屋で名物のマグロを食べた。夜は日帰り温泉でのんびり(点助は車で留守番)。 鎌倉という街にはいつも生き方を考えさせられる。都心でばりばり働いたのち思うところあって移り住む人も多そうだし、このあたりに生まれ育った人たちは(ワタシはトウキョウは無理かな〜)という顔をしている。ハイヒールや腕時計を身につけずに、自立して暮らせる金を稼ぎながら、自由に、またはそう見える暮らしをしている。 彼らが好まなそうな長い通勤や会議を日々消化している私は、その雰囲気に飲まれて「今のままでいいのかなア」と思いに耽ってしまう。だけど会社員には特有の気楽さもあるし、鎌倉に住めば力の抜けた暮らしが叶うわけでもあるまい。結局は自分の問題なのだ、と我にかえってつまみをつまむ。 しょうちゃんは滞在中、知り合いのいる店に連れて行ってくれる。「久しぶりー」やら「いらっしゃい」やらの笑顔が私にも降り注いで、東京にそんな店を持たない私はやっぱり羨ましくなってしまう。

令和発表の時わたしは(2019年4月1日)

フロアの半数近くは改元を体験したことのない平成生まれで、YouTubeを全画面表示にして音量をあげたらぱらぱらと人が集まってきた。レイワデアリマスの声が響いてもさしたる興奮もなかった。名前にどっちかの漢字入ってる人〜と呼びかけても該当者は居なかった。皆はあっさり散っていった。 あとになれば、あの会社でレイワを聞いたんだっけ、などと思い出すんだろうと思いながら私も仕事に戻った。 菊地成孔は『平成』の元号発表の瞬間に愛の行為をしていた(と、火曜日のイベントで言っていた)。私はそんな裸体とは正反対の、月曜日の職場の公的な姿で『令和』を知った。平成が発表されたのは小学5年生でその時のことは覚えていない。愛の行為がどれほど夢幻的で、かつ事醒むものだとも知る由もない。 次の元号になっても、平成はしばらくは続く。平成の最初の5年ぐらいが、実質上の昭和だったように。(中略) 少なくとも、明確なことは、我々は、これからしばらく、元号だけが変わって、あとはまだ変わっていない、糊代のような数年間を過ごす。それだけだ。 平成は終わらない——連載:菊地成孔「次の東京オリンピックが来てしまう前に」

隣の席のみーちゃん

みーちゃんとは16も年が離れているが美大卒同士の親近感でなんとなく親しい。某歌劇団の追っかけに給与の大半を突っ込む、都会ど真ん中実家暮らし女子(25)である。デスク一帯ピンクだらけで、頼んだデザインは許す限りピンキー仕上げ。軽い舞踏会並のボリュームスカートをはいて頭にでっかいリボンをくっつけている。さぞかし多摩美でも浮いていただろう。 毎朝のデータ報告ミーティングはもれなく寝ている。午後などは「これさあ」と急に横を向いて話しかけるとマウスに手をおいたまま寝ている。だけど仕事はめちゃくちゃ早い。みーちゃんの緩急をつけた働き方には一目置く。 好みでない仕事が山積するとあからさまにムスっとする。社会人なんだしサ? と腹も立つが、しばらくすると勝手にリカバリーしていて「これカワイくないですかあ〜?」と無邪気にモニタを指さしたりして、私のイライラは霧散する。 この間は「40過ぎて独身とか絶対嫌じゃないですかあ?」と当事者(私)に向かって大胆な失言をして、目を丸くして「あっタソさんのことじゃないですう〜」と今更どうにもならない言い訳をしていた。ともあれ、浅はかで夢見るみーちゃんとの取るに足らないやりとりが、仕事の息抜きになっているのは間違いない。

文化芸術的滋養の必要

有給休暇を使って「最果タヒ 詩の展示」へ。言葉のモビールが紡ぎだす文章は次々と意味を変えてとどまらない。横浜美術館にて3月24日(日)まで 美術館や映画館、ライブハウスや劇場などに行く予定は、カレンダーアプリの「カルチャー」を割り当てる。色は蛍光ピンク。 突然だけど、ウェブ制作の現場にはコピペをためらわない人もいる。ありもののコピーや画像を使い回すツギハギの名手が。感じない、考えない輩。使い回され続けて疲弊したクリエイティブを横目で見て呆れるけれど、そっちの仕事に関わる余裕もないしと諦めの気持ちになって、私まで疲弊してしまう。 心を動かすものって、迷いが宿っているのではないか。私が「カルチャー」を必要とするのは、その空間に作者の誠実な逡巡を見るからだ。塗り重なった絵の具や薄い鉛筆の線は、結果的に、初めて見る色や質感を生んで私を落ち着かせてくれる。 歩き回っているうちに満たされて心の興奮が静まる。周りがどうであれ、自分の信じる仕事を丁寧にしようと思う。そんな風に、誰かの文化芸術的活動を滋養にして私はわたしを保っている。 この部屋のなかにあるのは、すぐに消えていく詩ばかりだけど、あなたが見れば、そのときの詩は、きっと永遠。 — 最果タヒ(Tahi Saihate) (@tt_ss) 2019年3月12日

サプリメントジャンキー

1日に飲む錠剤を数えたら28粒だった。薬とサプリメントの割合は半々。薬を服用するついでにサプリを飲み始めたらこの有様。一回分ごとをピルケースに詰める作業もひと苦労、でも飲まないと落ち着かない。今後どうなるかはわからないけれど、私は今サプリメントジャンキーである。 何を隠そうおばあちゃんもサプリ信仰者だった。毎食後、冷ましておいた緑茶で大量のサプリを飲み下すのを冷ややかに見ていたのは今は昔、孫にも同じ習慣ができた。外国製サプリの巨大な粒に((ウッ))と一瞬ひるんでも、勢いで口に放り込む。最近始めた食事記録アプリでは、AIが栄養バランスを褒めてくれる。 某社の保湿系サプリメントで肌が乾燥しなくなったと知人が言って、そういえば自分もそうかもと思った。保湿成分を含む複数のサプリの効果だろうか。だけど化粧品もボディークリームも変えたんだよな。年末に衝動買いしたスチーマーも使い始めたし、もはやどれが効いているのかわからないんですけど。