かつての奔放

TEGテストでは、FC(Free Child)の数値が著しく低かった。奔放な心、という意味だ。かつてはあった性質が、今はグラフの底辺に「点」で追いやられていた。奔放か。その言葉に学生時代に一緒に奔放をやっていた盟友ヒロシを想った。

朝、facebookのメッセージでヒロシに連絡した。昼も、夕方も返信はない。随分会っていないものな。夜電車に乗ってfacebookを見たら、自分宛ての投稿記事があった。子供が喜んで飛びつきそうな大木の写真を添えて。電車の中で泣いた。ブルーのシャツの両袖の色が変わるくらいに。


4 comments on “かつての奔放Add yours →

  1. 話し変わるけど、表のリビングトーキョーの横のめくると変わる写真の中の水滴にネオンが移り込んだ写真の水滴が宝石に見えました!世界にはすてきなものがそこかしこにあって気づかないだけのものなのだなぁと・・感じ入りました。まっタソもお疲れちゃんのようだから一個ほめとくか・・笑

  2. これ精神的な話しね・・。違反はだめだよ。

    暴走族・・・おれ理解できるんだよ。

    しってるんだ・・まわりのみんなが理由をつけて降りて行くのを・・その理由も理解できる年になったんだよ。

    でもおれ、自分の意志でリミッター切ったから自分でみっともなくて繋げられない・・すべての小さい子どもがもう大丈夫という日までアクセルは戻せない・・俺の方が相談してるな・・。ふう・・酔ったから横になるよ。きったない町だったけど・・立川の朝焼けの町並みは好きだったよ。

  3. 浩志
    そうだね。気づかないものに焦点を当てられるのもカメラのレンズがあってこそ。
    道端にしゃがんだり、寝転がったりして違う視点を見つけられるのも写真。
    抽象的なモチーフに情を込めるのも写真だし、ただ日常を記録する手段としての写真もある。
    そのどれもがここにあるといいナァ、と思うよ。

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