自分自身の欠けた一部

『誰もが恋をすることによって、自分自身の欠けた一部を探しているものだからさ。だから恋をしている相手について考えると、多少の差こそあれ、いつも哀しい気持ちになる』この小説の会話は身に沁みるリアリティがある。最近はとくに。

長く「自分を愛する気持ち」が欠けたままだった。日常を手放し、社会から距離を置いた自分が不完全な存在に思えた。しかしある人が自分に愛を向けてくれた。日だまりに包まれたような安堵を感じた。でもそれは夏が終わると去っていった。欠けた部分に人が触れた余韻が残った。


3 comments on “自分自身の欠けた一部Add yours →

  1. 自分の欠けた一部を探すんじゃなくて、もしかしたら自分は誰かの欠けた一部なんじゃないかなって思うようにしたら、ぴたっとハマる出会いがあると思う(と、自分に言い聞かせています。特に最近は)

  2. >pinkbearさん

     たしかに!
     言葉だけみると逆になっただけのようでいて、実際の心持ちとしての意 味合いは、なんだかくるっと変わるね。
     

  3. >pinkbear氏
    『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』の「かたわれ探し」のアニメーションって素晴らしいと思うんだけど、君のコメントを読んでそれを思い出した。
    http://youtu.be/_zU3U7E1Odc
    自分が誰かの欠けた一部だとしたら・・・・・・なんだか希望が持てると思って。うん。

    >ちんみん氏
    ほんとうに。パンケーキをひっくり返したみたいな気分。
    自分の気持ちをうまくひっくり返してくれる何かを求めているのかもしれないね。
    そんで、それに出会えたら最高だね。

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