マフラーを編みたいのに 私には毛糸がないと歌ったのは小林緑だ。『ノルウェイの森』のショートカットで緑色の似合わない「緑」という名の女の子。CDを聴きたいのに 私にはプレーヤーがない。ない、ことはいつも緑の歌を思い出させる。
正確にはプレーヤーはあるが壊れている。開閉ができず中に盤が入っているかもわからない。3年くらい開かないままだし買い換えたい。データ化された音楽は音が足りないというし。先月予約したCDが今日やっと届いた。Macにデータを吸い込ませる間に決して再生されない音のことを考えた。
おお、なんか分かります!
レコードで曲をかけてくれるような喫茶店は高円寺にありますでしょうか?
音楽を何千曲入れられますも良いけど、無駄に思えるくらいの高品質なヘッドフォンやスピーカー、アンプに再生機の需要がこれからも生産されていきますように、、買えない人生な気もするけど、関係ないさ、、ずっとあっていてほしい。
>ペンジーさん
音が豊かである、ということは、たとえ人の耳に届かない音が含まれているとしてもずっしりとした意味を感じます。
矛盾しているようにおもえますけどね。
レコードよりCDの方が音の総量が少ないそうです。
(この表現は正確ではないかもしれません。イメージでそう捉えました)
CDから吸い取るMP3などのデジタルデータは更に簡略化されています。
今は少しの違和感があるけど、いつの間にか慣れてしまって、聞こえない音を聞こうとしない人になるのかな。
高円寺には名曲喫茶がありますよ。おそらくレコード持ち込みOKでしょう!
カセットにダビングしてたころは、永遠に劣化しないMDの出現が輝かしく思えたものだったのにね。
テープが伸びたり、電池が無くなりかけて再生がゆっくりになったりっていうのも、今は昔なんだね。
高校のころ、ブルーハーツをウォークマンで聴いてるときに電池切れになるとイラっとしたなあ。
>あきC
そうだMDもあった。自分がMDを使っていなかったものだから忘れていたけどカセットテープにはない、がっちり中身が護られている感じは頼もしかったよね。
再生速度が遅くなるイラっとも懐かしいなあ!
カセットテーブのA面に終わりまで曲が入りきらなくて踏んだ地団駄とか。
近年はレコード再考の動き(たとえば「レコード・ストア・デイ」)があったりするようで、ロック畑でもあえてレコードをリリースするミュージシャンもいるみたい。
ものごころついた頃にはCDがあった、というレコード文化を通っていないギリギリの世代なのかなと思う。
確かなのは、テレビの前でザ・ベストテンを息を潜めてラジカセで録音していた世代、ということです。