皮肉にも、給与査定の低評価が心の安定をもたらした。日々の努力の報われなさがやるせない一方で、「評価ひっくー! もーやる気しねー(笑)」と呆れ返って肩の力が抜けた。仕事への情熱は一段階冷めたと思う。夜間や休日に売上データにアクセスする回数も減った。処方薬と低評価の相乗効果が成し得た “働き方改革” である。
もっとも、元が熱すぎた。同僚からはよく「考えすぎ」と言われる。確かに自社の動きに驚くほど無関心な社員もいる。彼らは表情こそにこやかだが範囲外の業務には関与せず、意見もアイデアも口にしない。クリエイティブだのイノベーティブだのと言いながら保守的な弊社におあつらえ向きの社員だ。嫉妬すら馬鹿らしい。
新年度に一大プロジェクトの発足を控えて、今は嵐の前の静けさ。見通しは暗く、泥の舟に乗っているようなものだろう。今までは始まる前にリスクを想定しまくってとことん憂鬱になるのが常だった。考え過ぎが病の原因なら、せめて火の粉が飛んでくるまではなるようになれよと無責任でいたい。
力が抜けて、逆にプレッシャーから解放されて、
働き方改革が断行されたんだね。
40代は、体力が衰えてくるのと同時に、
私個人としては、後輩の育成ということが
今までとは違う「仕事」なのではないかと感じています。
仕事先で自分のほうが年上の機会が最近特に多くなってきた気がする。
なぜ自分だけ空回りしているのかと思って、マイペースに見える同僚に話を聞くと「諦めてるから」と言う。
私は諦めることができない性質で、どうして〇〇じゃないの! △△すればよくなるのに! と思って口にしてストレスを溜めるタイプ。
意見なくして改善なしだとは思うけど、そもそもうまくやれる人は組織に「期待」してないんだね。
その態度が嫌味がなくて従順に見えるなんておかしいよ。
だけど、一時的に「どーでもいーわ」の心境になってみたら、今すごく楽で驚いてる。
後輩の育成、偶然にも今日から始まるよ。
これまでは部下も後輩も持たずにやってきたけど、この年(40)になって、曲がりなりにも伝えられることがあるんじゃないかと思って。