先週、初めてテレワークというものをした。世間にだいぶ遅れをとったものの、前時代的なルールが蔓延る弊社でそれが実現したことは評価したい。 3月上旬。満員の京王井の頭線の車内で「混雑緩和のためテレワークや時差出勤にご協力ください」というアナウンスを聞いた。まだ危機感が薄かった私は、ぴくりとした。けれどもそれを聞いた人たちは(自分に言われてもね)と思ったのではないか。会社の偉い人に言ってよ、と。 出社後すぐ、上長に時差出勤を広く認めてほしいと提案した。今や親戚や友人に都心への出勤を心配されるレベルにもなった。喘息の家族や幼い子供がいる人もいるはずだし、半分以上いるマスク姿の社員たちは(気が気じゃありません)と顔に書いてあるようなものじゃないか。しかし上長は「タソさんが人事部にいたら実現できたかもしれないね」と苦笑いする頓珍漢で話にならなかった。 「“美と健康を提供するのが業務使命” というのなら矛盾していませんか。この会社の対応はいま注目されていますよ」。そう言ったところで苛立ちは収まらない。 私は選択肢がないことが不愉快で仕方がないのだ。同僚たちは虚な目をして口をつぐんでいた。お見事なことだ!
冬の慰労会
今年は社内各所の仕事を紹介する新しいコンテンツを作り始めた。社員同士でありながら「初めまして」の連続。研究者やデザイナーなど各分野のプロフェッショナルの仕事を知るのは刺激的だ。企画に並走してくれる優秀なグラフィックデザイナーと単なるラッキーを超える良い出会いもあった。仕事が楽しい。 一方、自席では小規模な噴火を繰り返した。保守保守保守で水を差すやつら。闘いつつ嘆きつつ、気を遣い疲れて一年の間に薬が増えたり減ったりしてさ。今宵やっぱり「慰労」という言葉がぴったりだ。 ボーナスを先食いして浪費に歯止めのかからない私に残る金はあまりにも少ないけれど、この晩餐だけはご馳走させていただきます。毎日温かな夕食を用意してくれるめろす。愚痴を聞いてくれて一緒に怒って結局笑ってお腹いっぱい。めろすのおかげで翌朝仕事に向かえていたんだから。
ゴーゴーNorth shore!《ハワイ記6》
滞在4日目は世界的に有名なサーフィンスポット、ノースショアへ。Alamoで借りたMINIのコンパーチブルで出発! ハイウェイでオアフ島を北上すればワイキキから約90分の道のり。通りがかりの店でマラサダ(=ハワイ名物の揚げパン)を食べて休憩したり。地元の人がひっきりなしに訪れる人気店みたいだった。行き先もペースも気分次第の気楽さがいい。 ハレイワ地区に入ったら車を停めて散策開始。未舗装の道路や古い木造の店がワイキキとは違うゆったりした空気を醸す。早口な人も眉間にシワを寄せる人もいない感じ。気分がよかったので記念にパイナップル柄のワンピースを買った(近くにはDole Plantationもあることだし)。いたるところに並ぶ色とりどりのサーフボードがこの街の主役かも。 ここは世界中からやってくるサーファーを迎えるオールド・サーフ・タウン。ハイ・シーズンは冬なのでサーファーの姿はまばらだったけれど、波打ち際まで高い波が寄せてスケールの違いを感じた。いつかパイプラインの波に乗るサーファーを観てみたい! だけど、簡単はお目にかかれまいな。
想定外のヒトメボレ 《ハワイ記5》
「可愛い財布を見つけた」と言われて入ったCHANELで、好みの塊のようなロイヤルブルーの財布とまんまと出会ってしまった。想定外の高額支出なので一旦時間を置くも(やっぱり)2人で色違いを購入。ハワイで安く買えるのは主に米系ブランドでCHANELは国内価格とほとんど変わらないのに。(帰国数時間後に消費税が10%に、という理由も…あるにはある)。 そんなわけで初日にHighな出会いを果たし、なんか満たされちゃった我々、4泊6日の滞在で豪華なディナーは一度だけ。周りのハワイ通たちに勧められた「ルースズ・クリス・ステーキハウス」の熟成ヒレ肉のコースを。帰国日の朝食はニューオータニの「ハウツリーラナイ」でエッグベネディクトとアサイーボウルを。どちらも撮らずにはいられないフォトジェニックな皿。 そうそう。事前に予約した空港行きのバスを待っていたら、白くて長いリムジンが迎えにきた。ハワイの最後に幸運なアップグレードだったな。 ※「ハウツリーラナイ」はビーチ前の絶好のロケーション。ただしビーチ側のテーブルに座らないと人の頭しか見えないので予約時に相談を
お食事High&Low《ハワイ記4》
物価が高いハワイは食費もかさむ。チップを含めればランチでも2,000円を超える。毎回レストランに行くほど食道楽でもないし使える金も多くはないので、Low時々High作戦で行くことにした。Lowの代表格はフードコート。アラモアナセンターで食べたステーキとガーリックシュリンプのBOX(12ドル/約1,536円)は美味しかったな! 前回のハワイ記で「外食は控えめにしてキッチン付きの宿で自炊したい」なんて書いたけど、今回の旅がその通りになった。コンドミニアムには調理器具とカトラリーがひと通り揃っていたし、大きな冷蔵庫もある。 海に入った日、しょうちゃんは日本から持ってきたサッポロ一番塩ラーメンを作った。朝起きたらスパゲティが出来ていたり、ゆかりおにぎりを握ってくれたりした。Whole foods Marketで買ったフルーツやヨーグルトもテーブルに並べて、海が見えるラナイでお喋りしながら食べよう。これって安あがりだけどとっても贅沢♪
旅の最重要To Do!? 《ハワイ記3》
いつも鎌倉の海に入っているしょうちゃんがハワイに行ったら、もちろんサーフィンしなくちゃね! 部屋でも散歩中でも波を見る眼差しは真剣そのもの、ひとりで何かつぶやいている。おそらくは波の具合について。 2日目の朝、ダイヤモンドヘッド麓のモンサラット通りにある『プアラニ・ハワイ・ビーチウェア(Pualani Hawaii Beachwear)』でショッピング。スタッフの紹介で、その場で明日のサーフスクールを予約してもらった。これほど海が身近だと、サーファーじゃなくても早く海に入りたくなる。コンドに戻った我々は水着に着替えて1階のサーフショップへ。 オーナー夫人は日本人女性で、紙に絵を描きながらライドポイントへの行き方を教えてくれる。「4本目のPalm treeから海に入って」と言い、「この辺は波はマアマアいいんだけどすごぉくRockyなの」と深刻そうに顔をしかめ、「さっき来た人、海亀と一緒にサーフィンしたんだって!」と目を見開いた。冬場はアザラシと遭遇することもあるらしい。 サンダルを店に脱ぎ置いて裸足でカハナモクビーチへ。4本目の “椰子の木” から海に入る。しょうちゃんはすいすいとパドリングで進んでいったけれど、ボディーボードの私はライドポイント付近のブイまで辿り着くのが精一杯……。ともあれワイキキの海を堪能し、夕食はラナイで乾杯! 翌朝は集合場所に同行してロコサーファーのエディと対面。しょうちゃんを預け、部屋で午後の予定を立てることに。言われた通り岩が多かったらしいけれど、しょうちゃんは2日連続のライドを終えて満足そう。サーフ文化の根づくこの地で私もサーフィンしてみたい!
ワイキキ・ノスタルジイ《ハワイ記2》
ワイキキ中心地を巡回するトロリーのおかげで移動すら楽しいハワイ。乗り物酔いする私にうってつけのオープンエアーだから、わざと遠回りして景色を眺めたりね。堂々と観光客然と過ごせる気楽さは癖になる。実際にカラカウア通りを歩く9割は観光客だと思う。 古く重厚な建物、植物が縁取る街並みは昭和時代の日本に似ていて懐かしさを感じる。オプティカルなレリーフや伸びやかな壁画は、幼少の、急かせかと生きる前に見ていた大らかな景色のようだ。 ハワイアンの人柄と雄大な自然に心がほぐれていく。植物らは日本と同じ種と思えぬ育ちっぷりでモンステラの葉は傘になりそうなほど大きい。ある夜、人気まばらなワード地区を歩いていると、植え込みのスプリンクラーの稼働とともに音楽が流れ出した。ハワイでは植物もハワイアンソングを聴いて育つのだな。
3度目ハワイは格安コンド編≪ハワイ記1≫
初めて家族以外と行くハワイ。しょうちゃんとは直前に互いの希望を伝えあったのみだったけど、Tabioriというアプリでスケジュールをざっと組んでおいたら思いの外便利だった。時間を有効に使えるしやり忘れも防げる。旅の備忘録にもなってくれるし。 今回は勤務先の保養所のコンドミニアムに泊まる。実はこれぞハワイ行きの決定打! だって社員は1泊3,500円で泊まれる(同伴者は5,000円)。その安さゆえに半信半疑。だけど来てみりゃオーシャンビュー。ビーチ至近、アラモアナセンター徒歩10分の好立地。プールも2つ、一階に代理店の日本人スタッフが常駐する高ホスピタリティ。 建物は古いしクリーニングサービスもないけれど、このバリューの前に文句のつけようがない! チェックイン早々、しょうちゃんは私物をてきぱき配置してスーツケースを空にした。ものぐさな私もそれに倣う。衣類をクローゼットのハンガーにかけながら、ここに4泊する嬉しさがこみ上げる。
コンタクトレンズめ。
昨夜は「塩田千春展:魂がふるえる展」へ。はりめぐらされた糸が毛細血管のよう。コンタクトレンズの鑑賞は叶わず。理由はまた後日に…… 2年半前、村上春樹のトークイベント参加を機会に眼鏡をつくった。知らない間に0.4くらいまで落ちた視力も日常生活にさほど支障はなく、ビストロの壁の黒板メニューの文字が見えない程度で同伴者にオーダーを任せて解決していた。毎度流れ作業の免許更新は「次は眼鏡ね~」と言われながらなんとなくパスしてきた。 ところが眼鏡をつくったらオイこんなに見えてなかったのかよと驚いた。絵画のディテールやステージの演者の観察に不可欠なものだったのだ! さて、今度は海外旅行を機会にコンタクトレンズをつくることにした。吉祥寺のコンタクトレンズ専門店に入り提携の眼科で検査を受けた。酸素をたくさん通すという一番高価なレンズを選んだが、どんな風に良いのかはよくわからない。 恐怖の眼圧検査、そしてレンズの着脱演習を終えた私は憔悴していた。上下にひっぱり続けたまぶたは赤く、乾燥してカサカサだ。失敗する度にフニャっとなるレンズめ。表裏のわかりにくさめ! と忙しい朝に涙と鼻水を垂れ流す。
転職して1年経った
当たり前だけど、求人票だけで会社の本当のところはわからない。面接官は現場の声なんか教えてくれない。転職を博打にしたくはないけれど、合う/合わないは入社してみないとわからない。緊張とともに今の会社に飛び込んだのは去年の8月1日。一年経った現時点では「転職は成功した」と言えそうだ。 根強い社内政治に不可解な人事。眉をしかめることは多々あれど、現場には関係が薄いからか不思議と働きにくさは感じない。ディレクション範囲は狭く深いから制作に集中できるし、新しい企画を歓迎してくれる上司もいる。労働時間はぐんと減って夏は明るい時間に帰宅できる。収入も(少し)増えて旅行の計画を立てられるようになった。 一年経ったら身の振り方も板についてきた。なんといってもルールに忠実なベテラン勢の扱いが肝である。行く手を阻まれそうになったら「え〜っそんなの初めて聞きましたア!(ここ6社目ですけどォ〜)」とスットボケて振り切るのが得策なのだ。経験社数の多さを活かした40代の処世術。 自由を欲しながらしっかり会社員タイプの私にとって、ここはいい塩梅。ラフ画を描きながらよくもこんな居場所が見つかったものだ、とふと思うことがある。次の一年が考えられる職場は初めてかもしれない。









