向かいの席の同僚が会社に来なくなって4週目。彼が鬱病と診断されたと聞いても驚かなかった。駄目になっていく姿に、自分の過去を重ねていたから。 解析士の彼は、計算は得意だったけれど数値の扱いは苦手だった。意見や説明は的外れなことも多い。上司や先輩社員に指摘されるたびに「すいませんすいません」と笑いごまかしていた。期待されていた仕事は遂行されず、チームメイトをやきもきさせた。 40近い大人が若い社員にだけ態度を変えることや、不快なほど笑い声が大きいことに皆は眉をひそめるようになった。私には居場所のなさを悟った人の言動に見えた。社歴の長い主力社員たちが離席すると業務の相談を持ちかけられた。彼は周りに萎縮し続けて「期待されていた仕事」をする余裕を失い、休みがちになり、ついには会社に来なくなった。 先週の会議で女性社員が「折角のお休みなんだから楽しいことを考えて過ごしてほしいですね」と言った。その幸福な鈍感! 楽しいことなんて考えられるかよ! あんたみたいな人達に苦しめられてきたんだ、と私の中の何かが跳ねた。 私は会議室の時計を指差して「平日のこの時間に家にいる、働けない自分を責めて、今はつらい以外ないと思います」と言った。高ぶって語気が強くなった。皆は静まり沈痛な顔をつくった。
珍しくこつこつしていること
挨拶文、商品名、サービス名、部署名、上司・同僚の名前。職場のパソコンの辞書には頻出語が登録されている。こんな文↓なら「o・de・te・go」とタイプするだけ。 お世話になっております、[社名]のタソです。 デザインを確認いたしました。 添付のPDFにて修正をご依頼させていただきます。 ご確認いただけますか。 どの会社でも、入社後しばらくはこつこつ単語登録をしてきた。面倒なのは最初だけ。それで仕事はだいぶスムーズになる。時々目も当てられない間違いー例えば自社製品名の間違いーを目にするけれど単語登録でつまらないミスは防げる。「メーク」と「メイク」や、「ビューティ」と「ビューティー」などは間違いのもと。 “見るからに忙しそうな人” に「辞書登録すると楽ですよ」と言ったことがある。彼女は騒がしくキーを叩き、打ち間違えてはDeleteキーを連打し、目の前の受話器を取って内線を取り次いだら書くことを忘れているタイプだったから。助言は微笑みとともにスルーされた。忙しく見える自分が好きな人もいる。たとえ非効率であろうとも。
夏の慰労会
夏のボーナスは想定より三段階くらい少なくて何かの間違いじゃないかと思った。同僚は「2回目までは俺も少なかった。なんでかわかんないけど」と言っていたのでそういうものだと思いたい。 転職して10ヶ月。だいぶ自由に動けるようになってきた。(不自由な)環境に(それなりに)順応し、滑り出した企画も成果を生み出した。近々体制変更があって我が課に新たなメンバーが増えることになった。これまで頑として動かなかった組織体が、上層部の交代によって柔軟に滑り出したように見える。しばらく経過を見守るとしても、今までがアレだけに期待は募る。 ともあれ。期待したほどの金額でなくてもボーナスは嬉しい。週末は吉祥寺の「李朝園」で毎晩の炊事係のめろすを慰労。いつも仕事の話を聞いてくれてありがとう。肉を焼いて焼いて焼きまくって、財布を掴んだまま会計に立ち上がれなくなるまで食べた。
おばあちゃん帰る
一年1ヶ月ぶりにおばあちゃんが自宅に戻った。「来週(実家に)帰ります」と知らせた母とのLINEでそれを知って、有給休暇を取って長めに帰ることにした。両親は共働きだから平日の留守番をひとりでさせるのが不安だったのだ。だけど週に3日はデイサービスに通い、ヘルパーさんが時々様子を見にくると知って少し安心した。実家は簡易リフォームがされ、玄関や寝室に手すりが取り付けられていた。 おばあちゃんは「快気祝いの品を早く配らにゃあ」と気が気でない様子なので豪雨のさなかに近所の挨拶回りをした。大きく重い傘をさし、赤飯とデパート共通商品券の入った風呂敷包みを抱え、杖をついたおばあちゃんと腕を組んで進む。牛歩の歩みで。家々の玄関で「またよろしくお願いします!」と雨音に負けじと私は声を張り上げた。何十年もまともに顔を合わせていない人に「タソちゃん!?」と言われたりした。 その翌週、当たりっこないと家族で笑い飛ばしていた東京オリンピックのチケットが当たっていた。陸上競技の最終日に家族4名分。93歳のおばあちゃんは来年東京に行くという目標ができたし、手術やら怪我が続いてめっきり老け込んだ父親も驚いて喜んだ。老いゆく家族に、少し先の明るい話題ができた。
やばいやつら
会社の刊行物で見つけた「女性ならではのきめ細やかな仕事」という一文を読み上げて「これやばいですね」と言ったら同僚(女性)はどこが「やばい」のかわからないみたいだった。「きめ細やかな仕事ができるかは個体差であって性差ではないです」と言うときょとんとしていた。会話を聞いていた周りの人らも誰も反応しなかった。「時代遅れの一文ですね」と構わず続けた私はメンドクセー奴か。 職場でのヒールの着用を求めることが「パワハラになりうる」というニュースを見た。女性のヒールに好意的な男性は多い。前職の経営者はあからさまな男尊女卑だった。自分の好む服装や言動が人事評価の基準になっていたり、事業規模に見合わぬ容姿端麗な女性秘書を欲しがったりした。彼の中にしかない「女性はこうあるべき」が蔓延していて気色が悪かった。 従順な女性社員は、会社に着くなりいそいそとヒールに履き替えていた。そう、権力に抗わない女性たちは自ら、毎朝美しくもないヒールに足を入れていた。ヒールを履かない選択肢を持たない女たちと、たかが何センチの女性らしさを求める男たちよ。薄っすらと漂う主従関係をやり過ごせる無感覚者にこのニュースの「やばさ」はきっと届かない。
オー鎌倉
誕生日前夜、仕事を終えてそのまま鎌倉へ。偶然にもしょうちゃんの愛犬「点助」も誕生日が同じなので今年は有給休暇を取った。翌日は快晴。三浦半島の先の城ヶ島公園へドライブして、リードを外して点助が駆け回った。わたしたちはいい季節に生まれた。港で夕日を眺めて小料理屋で名物のマグロを食べた。夜は日帰り温泉でのんびり(点助は車で留守番)。 鎌倉という街にはいつも生き方を考えさせられる。都心でばりばり働いたのち思うところあって移り住む人も多そうだし、このあたりに生まれ育った人たちは(ワタシはトウキョウは無理かな〜)という顔をしている。ハイヒールや腕時計を身につけずに、自立して暮らせる金を稼ぎながら、自由に、またはそう見える暮らしをしている。 彼らが好まなそうな長い通勤や会議を日々消化している私は、その雰囲気に飲まれて「今のままでいいのかなア」と思いに耽ってしまう。だけど会社員には特有の気楽さもあるし、鎌倉に住めば力の抜けた暮らしが叶うわけでもあるまい。結局は自分の問題なのだ、と我にかえってつまみをつまむ。 しょうちゃんは滞在中、知り合いのいる店に連れて行ってくれる。「久しぶりー」やら「いらっしゃい」やらの笑顔が私にも降り注いで、東京にそんな店を持たない私はやっぱり羨ましくなってしまう。
転職して8ヶ月経った(2019)
社外との接点が少ないから、あるとしても会議室への移動くらいで基本的には自席に張り付くことになる。他部署とのやりとりが制限される妙なルールがあったりしていよいよ息苦しい。仕事に慣れてきたからこそ、好きなように動けない不満を感じ始めた。先輩社員のやり方をなぞるだけでは物足りないし楽しくない。 様々な部署の社員に話を聞きにいく企画が動き出したら、取材と称して堂々と他部署に出入りできるようになった。これまで関わりのなかった社員たちと向かい合って言葉を交わせば、こういう人らが働いているんだと実感できて健康的だ。自社商品にまつわるインタビューは、そのうち学生時代や趣味や家庭の話に繋がっていく。脱線上等。出会いが増えていくのが楽しい。 いま、会社は大きな変革期を迎えていて、((すごい時期に入社したもんだネ))と、社歴の浅い者同士で顔を見合わせる。ここには詳しく書けないけれど、これまでがこれまでだっただけに悪くはならないだろうはず。社内がざわつく中、わたしは楽しみのほうが大きい。
業務見えぬ化
仕事のメールで、cc欄が空のことはほぼない。そこには個人やメーリングリスト(=人数のわからない不気味なリスト)のアドレスが列挙されているが、すべてに目を通している「関係者」なんていないと言い切れる。carbon copyの役目は緩やかな共有と、緩やかな責任分散。cc入ってますけど?(見てなかったんですね?)という逃げ口上のための。 ccの中の几帳面な誰かがミスの元に気づいて難を逃れることもある。でも私が差出人であるとき、その目玉はストレッサーになる。社外の人にとっては観客数の見えないステージのようなものだろう。余計な緊張で文章が固くなれば相手との距離は離れていく。そしてその原因は私が作っている。いつでもルールに忠実である必要はないのに。 ccが空欄のメールを増やしたら、気が楽になった。 主にデザイナーとのやりとりを「見えぬ化」したら、お互いの意見を遠慮なくいえるようになった。コミュニケーションの密度が高まれば、表現もアップデートされる。ストレッサー避けの対策は、結果的に、完成度を高める手段でもあった。知らないうちに自分を疲弊させている余計な習慣はまだまだありそうだ。
わたしの自律神経はいつ整うのか
前回の診察で薬が増えて一日14錠になった。過敏性腸症候群が悪化したからだ。そういえば罹患したのはいつだっけと検索したら去年の3月だった。一年間薬を服用し、転職して偉大なストレス源から逃れたのに! 人と関わる限りストレスを感じないなんて無理、を自ら実証してしまった。 ※4/28追記:増やした薬では「効き」が足らずもう1錠追加することに。 ■過敏性腸症候群(IBS)ってどんな病気ですか? □過敏性腸症候群(英語表記irritable bowel syndromeの頭文字をとって「IBS」といいます)は、お腹の痛みや調子がわるく、それと関連して便秘や下痢などのお通じの異常(排便回数や便の形の異常)が数ヵ月以上続く状態のときに最も考えられる病気です。 日本消化器病学会ガイドライン 「頻繁な水下痢」と「頻繁な屁」。前者は特に悩ましく、街中で突然もよおしたら、まず尻の穴を締めてトイレを探し、そろりそろりと移動するしかない。尻の穴を緩めれば大惨事。水下痢や残便感と共にある生活の心の休まらなさが伝わるだろうか。ちなみに「屁」は大体の人が聞こえないふりをしてくれるから困らない。 __私の自律神経は整うことがあるのだろうか。むしろ、整っていたことがあっただろうか。 生きにくさに病名がついたのは2012年の4月。だけど、昔から敏感な性質だった。心の奥に潜むネガティブな感情の扱い方がわからなかった。得体の知れない何かを抱えた自分は「正しい子供」ではないと思っていた。いつも身体のどこかが力んでいるのは社会に出て始まったことではないのかもしれない。
令和発表の時わたしは(2019年4月1日)
フロアの半数近くは改元を体験したことのない平成生まれで、YouTubeを全画面表示にして音量をあげたらぱらぱらと人が集まってきた。レイワデアリマスの声が響いてもさしたる興奮もなかった。名前にどっちかの漢字入ってる人〜と呼びかけても該当者は居なかった。皆はあっさり散っていった。 あとになれば、あの会社でレイワを聞いたんだっけ、などと思い出すんだろうと思いながら私も仕事に戻った。 菊地成孔は『平成』の元号発表の瞬間に愛の行為をしていた(と、火曜日のイベントで言っていた)。私はそんな裸体とは正反対の、月曜日の職場の公的な姿で『令和』を知った。平成が発表されたのは小学5年生でその時のことは覚えていない。愛の行為がどれほど夢幻的で、かつ事醒むものだとも知る由もない。 次の元号になっても、平成はしばらくは続く。平成の最初の5年ぐらいが、実質上の昭和だったように。(中略) 少なくとも、明確なことは、我々は、これからしばらく、元号だけが変わって、あとはまだ変わっていない、糊代のような数年間を過ごす。それだけだ。 平成は終わらない——連載:菊地成孔「次の東京オリンピックが来てしまう前に」









