2018年の転職活動まとめ

タイム・ハズ・カム
胃にポリープが1ダースもできるし過敏性腸症候群も治らないし。毎日薬を13錠も飲んでいる時点で会社との相性が悪いのは明白だ。

それでも転職を先送りにしてきたのは、今のキャリアを半端と感じていたがゆえ。実績を積むまでは会社に留まらなければと思っていた。なんといっても転職活動は面倒くさい。2年前も大変だったじゃないか

そんな私が転職活動に手をつけたのは4月の組織改編がきっかけだった。首を傾げる新体制の施行により、やり甲斐を感じていた業務を手放さざるを得なくなった。身勝手な社長の思いつきに振り回され、誰も異を唱えられない組織はいよいようんざりだ。時は来た。

「いい仕事」ができたか?
さて。ポートフォリオに1年半の仕事を付け加えると、デザインディレクションをしていたおかげで思いの外見栄えがした。いい仕事ができた自負も、少しはある。

制作の現場で根強い、紙対Web問題。現職では紙の冊子や広告物が優先され、Webチームは辛酸を嘗めてきた。さらに顧客を見ているとは思えない施策の数々。会社の方針は私の考えといつも違った。

私は、わたしなりの手法で問題解決に近付こうとした。顧客から好意的な反応を引き出す工夫をし、根拠となる数字を示して協力を渋る他部署を巻き込んだ。収益は明確な武器になるから、偏執的なくらいに日夜売上データを見続けた。

成果が現れてくると社内の理解も得られてきた。念願の、会社都合ではない顧客コミュニケーションを実践できるようになった。準備に1年近くを費やして、やっと財産を得た気がした。

業界専門エージェントのススメ
私は強固な転職意思を胸にポートフォリオと書類を準備した。前回お世話になったリクルートエージェントのKさんは残念ながら退職していた(ところで、キャリアアドバイザーは転職で失敗しないのだろうか)。

今回は初めて化粧品業界専門のエージェントに登録してみた。利用者は業界経験者のみだから信頼が厚いのか、応募した企業はすべて書類審査をパスした。ちなみに内定をもらった企業もここの紹介だった。

ミニマルに済ませたかったのだけど、4つのエージェントから紹介を受け、4つの転職サイトを利用した。
希望条件を登録したら、いよいよ大量メール受信生活のはじまりである。

仕事さがしの条件は?
今回もライティングにこだわった。相変わらず求人の多い「ウェブディレクター」を頑なに避けるのは、自分が書きたい人だから。多忙なディレクター時代にパニック障害を発症したトラウマもある。多忙が嫌いというより、多忙が怖い。

とはいえ、ディレクション抜きにコンテンツは作れないし、この歳になればそちらの役割も求められる。だからライティングを含むコンテンツ制作者を条件にして、企画だけや運用だけの求人は除外した。

私が理想とする仕事は、一般消費者向け(BtoC)分野で、上質な顧客コミュニケーションを叶える仕事。人の心に寄り添う情報を届けること。心軽く、心弾む、心あたたまる。そういうものを。

現実的には年収アップも切実な問題である。現職の内定時の提示額は、思わずエージェントに聞きかえすほど低かった。入社後1度だけ行われた給与改定でも昇給はすずめの涙で情けなかった。私は親孝行も、貯金もしたい。

踊る脱・ブラック宣言
メーカー内の制作部は制作会社に比べると格段に労働環境が恵まれていた。月平均残業は10~20時間だし、定時で帰る人も珍しくない。社内にデザイナーがいるので外注の手間もなく確認も楽。打ち合わせやそのアポ取りや、書類のやりとりがない!

転職活動をするたび、すなわち数年おきに、労働環境改善のきざしを感じる。求人票では「定時で帰るために効率を重視しています」、「21時以降の残業は推奨しません」などの宣言をよく見るようになった。

残業体質の会社は時代遅れだとずっと、ずうっと思ってきた。まあでも、忌々しい残業好きはしぶとく、しんぶとく生息している。どの会社にも。無論、弊社にも。

2018>2016
応募総数42社(うち選考辞退1社)。書類通過した10社すべての面接を受け、総面接回数は14回を数えた。書類選考通過の割合は24パーセントで、前回の23パーセントとほぼ等しかった。

・ 化粧品メーカー(A社)/デジタルコンテンツディレクター、ライター
・ 化粧品メーカー/デジタルコンテンツディレクター
・ 化粧品メーカー/デジタルマーケター[辞退]
・ スポーツアパレル(B社)/コンテンツディレクター、ウェブマーケター、ライター
・ スポーツアパレル/コンテンツディレクター、ライター
・ フィットネス事業会社/コンテンツディレクター、ライター
・ 求人広告代理店/取材ライター
・ 制作プロダクション/ライター・ディレクター
・ 制作プロダクション/ライター・ディレクター[辞退]
・ 美容商材系商社/ブランドマネージャー、ディレクター[辞退]

1ヵ月半の間、度重なる面接でしっかりと消耗した。夜間に面接してくれる会社はほとんどなく、働きながらの転職活動はやりくりが大変だ。有給休暇を取得して1日に3社回ったりした。

面接は4月17日の新宿御苑から始まり、6月2日の代官山で終わった。梅雨でもないのに面接の日はよく雨が降った。訪問先近くの軒先で真新しいハイヒールに履き替えた。

「正直」という失敗
5月初旬には3社で選考中だった。某メーカーのために用意した企画書の出来にも満足したし、月内にはどこかから内定が出るとたかをくくっていた。なのに、すべて落ちた。いちいち付き合っていられないとは思うが「お見送り」を告げるキャリアアドバイザーの声色はあまりにも無慈悲だ。

面接では転職理由を必ず聞かれる。歴代の退職理由を一社ずつ聞く面接官だっている。入社から1年半での転職はナニカアルと思わせるだろう。

私は直接的な言葉を避けながら正直に答えた。今思えば、多少ぼかしたところで「ワンマン」や「オーナーの意向」というニュアンス自体がタブーだった。一次面接の現場レベルではあるあるで済まされても、二次面接以降に現れる人事部長や経営陣にはご法度。彼らは組織に馴染まない異分子を弾くべく、神経をとがらせていたのだ。

落胆とともに誕生日を迎え、41才になった。書類は1日付で作っていたので履歴書の年齢は40歳のままだ。6月に入ったら41才の履歴書を作り直さなくてはならない。気分が暗くなる。

倦怠鼓舞して第二幕
少しくらい嘘をついてでも面接はポジティブに徹することに決めた。私は感情的な傾向が強いから、オブラートに包んだつもりが包み足りなかったのだ。けどさ、正直になるほど減点されるなんて悲しいよな。ネガティブな感情無しに転職するやつがいるのかよ?

……ともあれ。転職活動を早く終わらせるためにネガティブ要素を封印。力を振り絞って応募と面接を続けた。するとうまくいきはじめたのである(!)。

某メーカー向けに作った企画書は、修正して再利用した。自主的な企画の持ち込みはどこでも歓迎された。得意分野のアピールになるし、プレゼンの繰り返しは緊張回避になる。A社は役員面接前に課題が出されたが、企画書に肉付けすることで短期間で用意でき、そのスピード感が評価に繋がった。

3週間後、A社とB社の内定を得た

これからの私と仕事
迷いに迷って転職先をA社に決めた。実は2年前も応募したがその時は書類すら通らなかった。当初紹介された求人の中にA社はなかったが、エージェントに掛け合って紹介を頼んだ。

退職が確定し、ガーデンプレイス内のカフェで部長と話した。彼は「うちの会社でひとつでも役に立ったものがあれば良い」と自信なげに言った。A社内定は現職(化粧品メーカー)の経験のおかげである。ストレスにまみれた日々もキャリアアップには役立った。と、思うのは冷た過ぎるだろうか?

生活のためには働かずにはいられない。心身の健康のために社会参加は欠かせない。それならば得意分野で、自分らしくそこに存在していたい。働き方のバリエーションがこの先もっと増えるといいと思う。働くことは生きること、働き方は生き方だから。


6 comments on “2018年の転職活動まとめAdd yours →

  1. 最後の段落がグッときた。全く同意だわ。
    大抵のことは、何かしら役に立つ経験になることも、この年だから実感できたし。もっと自分らしく、伸びやかに働けたらいいなぁと思う。
    お互いに、適度に社会参加がんばりましょ!

  2. 同じ人でも居る場所によって価値が変わるし、認められない場所に居るのはつらい。
    だけど、その経験が次の職場を選ぶヒントになったりして。
    転職は自分を見つめる行為そのものだと思った。

    お互いに次が見つかった夏になったね。

  3. イーゴン
    内定を断った方の会社の社長があなたに似ていてね。
    60歳くらいの人なんだけど、親近感あったよ。

  4. 私は当時から、あなたの頑なで折れない姿勢を見るにつけ「もー、大人になれよなー。」って思うことがあって、これまで、たまにこのブログを見ては「相変わらずだな」と眉毛を八の字にしていたものです。
    でもね、折れずに戦い続けてるその姿勢は凄いな、と最近は思います。

    例えば、大事なものを手放す事で、新しいものを手に入れる、というプロセスを経ることが「大人になる」という事なのだとしたら、あなたはまだ大人になっていないのかもしれないね。

    でも、ならなくていいと思った。

    大事なものを握ったままで、新しいものを手に入れる事ができたら、それが最高だからね。
    あなたには、それが出来ると思うから、そのまま生き抜け。

  5. >大人のイーゴン
    期待しすぎ・求めすぎとはことあるごとに言われるし、
    彼らのように適度な熱量で生きられたら、
    病院の世話にもならなくていいんだろうなと思う。
    でもそういう人たちのことは深く好きになれないと思う。

    ちなみに私は、山田詠美の『ぼくは勉強ができない』の
    あとがきの一節を心の拠り所にしてきて。
    『大人になるとは、進歩することよりも、
    むしろ進歩させるべきでない領域を知ることだ』てところ。

    こんな私でも居場所はあると思いたいし、
    転職活動は、社会の中の居場所探しにトライしている気分です。

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